サイレンの音が響く

 

冬の音だな・・と感じる。

 

すぐそばにとまって、

2:16。

サイレンを響かせて救急車が出ていきました。

よく響くというか・・・・

さびしい音だな と思う。

 

それでも夏の夜にも 

よく響く救急車の音を聞いた気もする。

なぜこの音を「冬」と感じるのか?

よくわからない。

 

 

 

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さて、

日々わたしの心を絞めつけている父のこと。

わたしは窒息しそうであります。

 

せっかく手術もうまくいって、

食事指導を受けて、精いっぱいの努力をして、

血液の状態も申し分ない数値に落ち着いた父。

健康なんです。身体は。

 

足が悪いわけでもなく、

お付き合いする人がいないわけでもなく、

まわりから信頼がないわけでも、経済的に不安があるわけでもない。

弟夫婦は2か月に一度ほど帰ってくる。

 

それでも孤独から、生きていても楽しくなくて、

「もう死んでもいいかな?」

という気持ちになるのは、

ずい分おかしなものだと思う。

ケーキでも買って、誰にでも来てもらって

好きなだけお喋りすればいいのに?と不思議ですけれど・・・

男の人というのは、そういうものなんだそうですね。

プライドなのかな?・・・それができない。

 

その父の孤独は、父の精神の内側にあるもので、

誰かが外からそれを何とかする、ということは出来ないんだと思うんです。

おそらく、わたしがしていることは、

″気分を紛らわせるお喋り″だけであって、効果はその時だけ。

依存性のある薬物のような役割なのではないか?

 

本質的には何も解決していなくて、

一人になればまた不安だから、

翌日も、またその翌日も父はわたしにしがみつく。

狂ったようにしがみついていると思う。

「貝ちゃんに見捨てられたらパパはもう生きる気力はないだろうな・・」

と言う。脅迫的です。

 

わたし自身、

父と話していても人間としてはさびしいままなんです。

誰かとしっかり信頼でつながっている感じはない。

わたしには犬たちと薔薇があるから違うんだと思う。

強いところがあるんです。

 

心の底では「無益ではないか?・・」と感じている時間を父と過ごすことが、

だんだん恐ろしくなってきていて、

また、

父の不安定な(与えられるだけの)喜びや、

派手な表現から垣間見える心の底の不誠実さ、

あからさまには表現しないけれども伝わってくる、怒りや不満などの感情に、

毎日縛り付けられていることが

苦しいのです。

 

 

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自分の苦しさを言葉で表現できたので、楽になった。

なんらかの解決を見出すことは出来るはず。

書いてよかったと思う。