絶対自由

 

きょうは診察の後、

院長先生にお話しさせていただいて、

質問したことの内容は10分程度の話ですむはずのところ、

その質問の理由から話が長くなり大変申し訳ないことでした。

「生きる意味」というのは、人からあてがわれてもダメで、

自分自身が見つけるよりほかないのだと先生は言ってくださった。

父が自分自身で見つけるよりほかない。

介護や同居などについての具体的なお話も聞くことが出来た。

先生はお疲れだったのに・・と思う。ありがたかったです。

(一患者としてのけじめを持たなければなりません)

 

この息苦しい半年間で

やっと呼吸が楽になって救われる思いでした。

今回の父とのことで、極端な結論を出さずに

冷静に持ちこたえることが出来そうな気がします。

 

とにかく、

わたし自身の内にある矛盾、

また父の心の中にある矛盾、

そして父と私との間にある矛盾を、

すべて持ちこたえることだと思う。

そのためには考え方に余裕がなければならない。

余裕を持つためには、

いくつかの具体的な解決策を知っておくこと。

その為には信頼できて、相談できる誰かが必要です。

 

きょうは救われた一日でした。

 

 

 

一日のすべての時間を自分のために使えること。

経済的に不自由はないこと。

誰にも遠慮なく人を家に招くことが出来ること。

自分の足で(ある程度)どこにでも行けて、

何日家を空けても困ることがないから、

自由に旅行もできる。

どんなレストランで食べるのも、

何を食べるのも

すべてが自由。

 

考えてみれば、これほど幸せなことはない。

それでも父は幸せでなかったと言う。

孤独で、

生きる意味を失っていて、

もうする事はすんだし、いつ死んでもいいかな・・

と思っていたと言います。

「静かな家に一人でいると気が狂いそうになる」

と言いました。

その無意味な静けさ、さびしさからくる恐怖感は

わたしにも理解できます。

 

 

人は本当は

自由が怖いんですね、

なにかに縛られて、少々不自由なくらいが

安心で幸せなのかもしれません。

そしてあまりに縛られすぎて窮屈なのも

やっぱりダメなのですから・・・

人間はわがままで贅沢です。

 

 

孤独な人はたくさんいる。

 

一歩 外に出れば、

こんなにも人がたくさん歩いているのに、

「孤独」というのは

おかしなものだと思うのです。